ニコニコランキングSP2015上半期 ~声なき声に力をSP~ Part1
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本名はフィル・ブルックス(Phillp Jack Brooks)。1978年10月26日、イリノイ州シカゴ生まれ。1999年にCMパンクのリングネームでデビュー。以降、一度もリングネームを変えず現在に至る。デビューからほどなくIWAミッドサウスなどインディーを転戦し、エディ・ゲレロやAJスタイルズらと抗争を展開。また、現在も無二の親友であるコルト・カバナや仇敵クリス・ヒーローとも抗争している。IWAミッドサウス参戦中の2002年からはコルト・カバナ、エース・スティールと共にセカンドシティ・セインツを結成しRing of Honorに参戦。元ECWのカリスマ・レイヴェンとの血で血を洗う抗争を経て、タッグ王座を取るなどの活躍を見せる。同時期にTNAにも参戦、ギャザリングなる軍団を率いるがほどなく消滅、自身もTNAを離脱した。2004年に入ると当時ROHで絶対王者に君臨していたサモア・ジョーに狙いを定め、抗争を開始。二度の60分フルタイムドロー、時間無制限の決着戦は現在でも名勝負数え唄として米インディー界では伝説となっており、王座奪取こそ叶わなかったがジョーとの一連の戦いが人気・実力を押し上げる要因の一つとなった事は間違いない。2005年、WWEとの選手契約を結んだことが明らかになり、WWEの前座番組HEATにも登場。ROH離脱目前のパンクは、最後のチャンスとしてサモア・ジョーを下した王者オースチン・エリーズに挑戦。WWEとの契約が明らかになっている中で、まさかの王座奪取であったが試合後に突如ヒールターン。WWE所属という立場を利用しての上から目線なマイクで観客のヒートを買う。4WAY形式の王座戦でジェームス・ギブソンに敗れるまで嫌味なヒールに徹していたが、最後のお別れ大会「Punk Final Chapter」では盟友カバナと一騎打ちの際に号泣。感動的なセレモニーで見送られてメジャー・WWEへと乗り込むことに。WWE下部団体OVWではデビューまもなく鼻骨を骨折し戦線を離脱するが、復帰後はケン・ドーン(ケニー・ダイクストラ)、ブレント・オブライト(ガナー・スコット)らとTV王座を巡る抗争を展開。3WAY戦で二人まとめてのアナコンダバイスを敢行し王座奪取に成功。その後オブライトとはTV王座やOVWヘビー級王座を賭けて幾度と無く名勝負を展開していく。2006年にはセス・スカイファイアと組み、OVW南部タッグ王座を奪取。またこの時、古巣ROHがアクシデントにより選手が欠場、大会の開催が危ぶまれたことがあり、その窮地を救うために緊急参戦。ブライアン・ダニエルソン(現:ダニエル・ブライアン)と一夜限りのタッグを結成。OVW在籍期間中とはいえ、WWE契約下にある選手の他団体参戦は大きな問題行為とされた。2006年4月に行われたレッスルマニア22にてジョン・シナの入場エキストラとして一軍デビュー。同年6月にはWWEがRAW・SMACKDOWN!(以下SD)に次ぐ第3ブランドとして立ち上げた新生ECWで正式に一軍登場。「禁欲主義だが試合中毒」という触れ込みのベビーフェイスとして連戦連勝を上げ、一度はイライジャ・バーク率いるニュー・ブリードに加入しヒールターンしかけるものの、即座に離脱し抗争。2007年、空位になったECW王座を巡ってジョニー・ナイトロ(王座奪取後にジョン・モリソンに改名)と戦うも敗戦。その後、幾度と無く挑戦するも王座奪取には至らなかったが、”最後のチャンス”として挑んだ一戦で見事勝利。以降、翌年にエッジの介入でチャボ・ゲレロに王座を奪われるまでの約4ヶ月の間防衛し続けた。2008年、レッスルマニア24では下馬評を覆しマネー・インザ・バンクを獲得、直後のドラフトで看板番組であるRAWに移籍。バティスタの強襲を受けて大ダメージを負った世界王者エッジに対してマネー権を行使、世界ヘビー級王座を奪取することに成功。しかし王者としてまともな防衛戦はJBLに対しての一度のみで、試合前にランディ・オートンのパントキックを受け、戦わずして王座を奪われるという前代未聞の陥落劇。今後の扱いに一抹の不安を覚えさせられるが翌年のレッスルマニア25でまさかの二年連続マネー・イン・ザ・バンク獲得というサプライズを引き起こし、ドラフトでSDに移籍。当時絶対的ベビーフェイスとしてSDに君臨していた王者ジェフ・ハーディの試合後を襲う形で王座奪取。自由奔放なハーディに対して自身のライフスタイルであるストレートエッジ(禁欲主義)を説くヒールへと変貌を遂げる。ハーディが契約満了で退団、直後に逮捕という騒動を受けて、ハーディを小馬鹿にしたコスプレを行うなどファンのエキサイトを買う大ヒール王者として確実にステップアップしていったが、復帰してきたアンダーテイカーに王座を狙われてしまう。一度は疑惑のギブアップ勝利を収めるも、ヘル・イン・ア・セル戦では良いところなく完敗し王座陥落。2009年に入って禁欲主義ギミックに拍車がかかりはじめる。信奉者であるルーク・ギャローズを従えてStraightEdgeSociety(禁欲主義教団)を結成。「自身を変えたい」観衆の髪を刈りとるなどして信者を増殖させた。丸刈りにされた観客としてセリーナが加入、謎の禁欲マスクマン(ジョーイ・マーキュリー)も登場した。いかがわしさ全開の教団ギミックが評価されて、格闘技専門誌"レスリング・オブザーバ"選定のベストギミック賞を獲得するに至る。その後教団員が増えることはなかったが、新人発掘番組として開始されたNXTシーズン1では、自身のルーキーにあてがわれたダレン・ヤングを丸刈りにしようとしたり、レイ・ミステリオを無理やり教団に加入させようとするなど日々布教活動を行った。ミステリオとの抗争で髪を失うやマスクマンとして登場するなど話題に事欠かなかったが、セリーナが私生活での飲酒問題で解雇された辺りから勢いは失速。ビッグショーvs教団のハンデ戦でも惨敗を喫し、完全にチームワークが崩壊。ついにはマーキュリーが離脱、ルークが造反。禁欲主義教団は解散することとなった。(その後の所属メンバーについてはギャローズがキース・ハンソンとしてIGFに出場しており、セリーナはSMASHにおけるSMASHディーバ王座戦線に参戦している。)2010年10月、エッジとのトレードでRAWに復帰したが直後に負傷欠場。負傷中は解説席に活躍の場を移し、独自の説法を展開していたが、突如「許せない奴がいる」と試合後のジョン・シナを椅子で急襲。リーダー不在のネクサスを取り仕切ることを示唆した。2011年はネクサスに加入したことから、シナとの抗争に突入と思われたが、なぜか今更2008年にオートンに受けた恨みを返すとしてオートンと長期抗争を展開。上半期は勝ち星やタイトルにこそ恵まれなかったが、ネクサスメンバーとのコントや公開SMショーなどのムチャぶりでメンバーを次々離脱させたり、マッチョマン・ランディ・サベージのコスプレで故人を追悼するなどの独自路線をひた走った。6月のRAWでシナの王座への挑戦権を獲得したパンクはいきなり自身の契約切れが近いことを公表。6月末の末のRAWで下記のWWE大批判や「レスラー」発言、解雇された選手の名前を挙げるなどのシュート発言(全てストーリーライン上であるが)を行ったため無期限の謹慎となり、挑戦権も剥奪されてしまう。しかし翌週(実際は貯め撮り)には王者シナがビンス・マクマホンに直談判し、それを撤回。迎えた7月17日のPPV「マネー・イン・ザ・バンク」において地元シカゴの圧倒的な声援を受け、リングサイドでカバナ、スティールや家族らが見守る中で見事王座獲得に成功。マネーの権利を行使しようとしたアルベルト・デル・リオをハイキックで一蹴し、大観衆の中へとベルトと共に逃走した。WWE(当時WWF)女子王座を手に WCWに移籍したアランドラ・ブレイズ(メデューサ)の事件の再来を予感させたが、翌々週のRAWで新COOのHHHの手により新テーマを引っ提げて復帰、王座に返り咲いたシナに自身が持つベルトを誇示した。電撃復帰後のRAWにおいて一度は離脱したものの、再契約するに至った理由として「ビンスが失脚し、変化が訪れたのは間違いないが未だに会社はファンたちに茶番を見せ続けており、いくらコミックコンベンションに乱入しようがテレビに出演しようが根本的な変革は出来ない」為、とした。真の王者不在の間に行われたトーナメントは無効で、シナの王者は茶番劇であると酷評したがHHH(自身はレフェリーとして立会)の裁量によってジョン・シナとのWWE王座統一戦が決定。WWE夏のレッスルマニアとも言われるPPV「サマースラム」において行なわれた、団体史上初のWWE王者対決はHHHのミスジャッジもあってシナから再び勝利。しかし突如乱入してきたケビン・ナッシュの急襲を受けてノックアウトされてしまい、直後にアルベルト・デル・リオがマネーの権利を行使、延髄斬り一撃で王座陥落。王座陥落の原因となったケビン・ナッシュとの抗争が勃発かと思われたが、何故か些細な諍いでHHHとナッシュが衝突、そのままナッシュは解雇処分となりナッシュ戦は自然消滅。パンクの無礼な態度に業を煮やしたHHHは、自らの進退を賭けた一騎打ちを要求。PPV「ナイト・オブ・チャンピオンズ」でのノールールによる一大決戦が行われる運びとなった。ケビン・ナッシュ、HHH体制に異を唱えるザ・ミズとRトゥルースまでもが介入する中、HHHが激戦を制し、自らの職を力で守りぬいた。翌日のRAWではパンク自身がHHHを認めるようなスキットがあり、またPPV「ヘル・イン・ア・セル」での王座挑戦失敗の後のPPV「ヴェンジェンス」では、仇敵にして体制側であるHHHとのタッグまで結成してしまうが結果は敗戦。(vsザ・ミズ&Rトゥルース)この一連の抗争でパンクの"反体制のカリスマ”というアイデンティティが失われるのでは、との見方もあった。しかし、一年間の話題性や試合の内容が認められてか、スラミー賞で自身初となる年間スーパースター賞を獲得。シナとザ・ロックが初タッグで注目されたPPV「サバイバーシリーズ」ではアルベルト・デル・リオのWWE王座に挑戦、アナコンダバイスでタップアウト勝利を収め、自身二度目のWWE王座獲得。その後はPPV「TLC」で前王者デル・リオにザ・ミズを加えたTLC形式の3WAY戦、翌年のPPV「ロイヤルランブル」では暫定GMのジョン・ローリネイティスからの刺客であるドルフ・ジグラー戦、電撃復帰を果たしたクリス・ジェリコを加えた「イリミネーション・チェンバー戦」をも制し、不利な状況下を物ともせず、順調に防衛ロードをひた走っている。年間最大のPPV「レッスルマニア28」では前述のチェンバー戦でパンクの不意打ちで脱落したジェリコとの一騎打ち。パンクの掲げる「世界最高のレスラー」は自分の物真似(Chris Jericho Wannabe)であると譲らないジェリコを、反則裁定での王座移動有りという厳しい条件下ではあったが渾身のアナコンダバイスで振り切り、防衛。レッスルマニアの勝利で真の世界最高となったが、怒り心頭のジェリコに酒を浴びせられ、酒瓶を叩きつけられ、さらには「親父はアル中」「妹はヤク中」などの家族批判まで展開された事で遺恨が再燃。PPV「エクストリーム・ルールズ」でシカコ式と銘打たれたストリート戦をヤク中と批判された妹が見守る前でジェリコを必殺のGTSで下し、王座防衛を果たした。怨敵ジェリコとの抗争後は、インディー時代からの友人でもあるダニエル・ブライアンが第一コンテンダーを獲得。PPV「オーバー・ザ・リミット」において技巧派対決らしいマニアを唸らせる攻防の末、辛勝。以降は両者の抗争に巻き込まれた赤い処刑マシーンことケイン、ブライアンの元恋人AJをも交えた王座そっちのけのドロドロ劇にまで発展。PPV「ノーウェイアウト」においてケインとブライアン両名の挑戦を受ける不利な形式となるも防衛に成功。しつこく王座戦線に食い下がるブライアンとの決着戦は、奇行で二人を翻弄するAJが重要な役割を果たす事に決定。ファン投票によってAJがPPV「マネー・イン・ザ・バンク」にてパンクvsブライアンの王座戦のレフェリーを務める事となる。3度めのブライアンの挑戦を退けた絶対王者パンクの次なる挑戦者は、マネーの権利を獲得した宿敵ジョン・シナ。記念すべきRAW1000回記念放送において、およそ一年ぶりのシナvsパンクの王座戦が正式決定する事となった。マネーの権利行使による王座獲得率は100%。勝つのは世界最高レスラーか、はたまた”チャンプ”か。
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