「MMD-OMF5」C11蒸気機関車配布
C11蒸気機関車、それは日本を代表するC形タンク機関車。その車体の小ささが利点となり現在、日本で…
1920年代の国鉄では、大恐慌を背景として予算が削減され、大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となった機関車を改造したタンク機関車を、支線区の運用や都市部の区間運転などに充てていた。しかし、それらは改造の時点で製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車が発生するなど、その状態は悪く、また、種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。さらに、当時建設を計画中の路線群についても建設コストの為、従来国鉄が量産していた制式テンダー機関車では入線が難しい路線が出現しつつあった。そこで、制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本とし、これを改良して国鉄としては1917年の4110形最終増備グループ以来13年ぶりとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。その先駈けとなったのはC10形蒸気機関車で、これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。だが、このC10形は自重が重く、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区へ投入するには適さないという問題があった。そこでその設計を見直し、当時の最新技術を積極的に取り入れるなどして、動軸重を13t以下に抑えた改良型として製造することとなった。主に汽車製造会社、川崎車輛、日立製作所、日本車輌製造でが381両生産された。また、民間向けに製造されたものも少なくなく、11社へ計20両が納入されている。主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。優等列車としては寝台特急さくら (佐世保編成)を牽引した。その後は日本各地のローカル線で使用された。
C11蒸気機関車、それは日本を代表するC形タンク機関車。その車体の小ささが利点となり現在、日本で…