6/4カープ交流戦ハイライト②【カープ2017】
6/4カープ交流戦ハイライト②【カープ2017】 [スポーツ] 今日のヒーロー:中村祐太&丸※動画の転載及び両チームへの誹謗中傷のコメントは固く禁止します。上…
12人兄弟の8男として生まれ、名前も8人目ということから「宗八」となる。小学4年生から野球を始め、当初は内野と投手のかけもちだったが、沖縄高校2年時に投手に専念し、3年生時には夏の甲子園に出場した。高校卒業後は琉球煙草に進み、大分鉄道の補強選手として沖縄出身者としては初めて都市対抗に出場を果たし、さらに64年には広島東洋カープに入団してこれまた沖縄出身としては初めてのプロ入りを果たす。この際沖縄では「安仁屋フィーバー」が起こり、後援会がいくつも誕生している。1年目の64年から投手コーチだった長谷川良平に可愛がられたこともあってか、中継ぎ中心ながら出場機会を得ており、翌65年には201.1イニングを投げている。66年は7月31日の巨人戦にてこの年13連勝を記録していた堀内恒夫と投げ合い、9回2死までノーヒットに抑えながら29人目の打者となった黒江透修に安打を許してノーヒットノーランを逃した。当時のカープはまだまだ弱く、シーズンでもBクラスが当たり前で67年までは安仁屋も負け越しが続いていたが、68年に突如として覚醒し、この年は23勝11敗、防御率2.07というエース級の成績を残し、チームのAクラス進出の大きな原動力となった。69年・70年も連続で二桁勝利を挙げたが、70年オフに痛風を患ってしまったことで以後成績を落とし、74年にはキャンプ中にジョー・ルーツコーチと対立してしまい、オフには若生智男とのトレードで阪神タイガースに放出されている。75年は阪神にて全試合に中継ぎとして登板し、66試合で140.2回を投げて12勝5敗7セーブ、防御率1.91という成績で最優秀防御率とカムバック賞を受賞した。翌年以降も阪神の中継ぎとして活躍を続けたが、79年に12試合の登板に終わると、阪神から再び広島にトレードとなる。80年、実に6年振りに広島に復帰した安仁屋だが、酒の飲み過ぎが祟って春先に十二指腸潰瘍を発症して大きく出遅れてしまい、この年はわずか2試合の登板に終わると、翌81年も1試合の登板に終わったためこの年で現役を引退した。引退後は82年から97年まで広島にて投手コーチを務め、その後は解説者に転身。2005年に再び広島の1軍投手コーチに復帰したが、過度な投げ込みを選手たちに課したため、この投げ込みに耐え抜いた黒田博樹を除いて広島の投手陣を崩壊させてしまい、この年広島は最下位となってしまったため、わずか1年でコーチを退任。その後は沖縄に社会人野球チームを作り、現在はRCCカープナイターという番組に解説として出演している。
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