楽天嶋、デーブ大久保監督を無視する
シカトされたみたいでごじゃる・・・
1984年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。引退後のタレント業ではデーブ大久保という芸名をつけていたことからも分かる通り、かなりの肥満体系。高校通算で52本塁打を記録している為、入団時からその長打力は評価されてはいたが、西武では伊東勤が正捕手として確立していたこともあり代打がほとんど。当然ながらその肥満体系を選手の管理面にうるさかった当時の監督である広岡達朗に「プロ野球選手の体ではない」と酷評されている。さらに1986年に監督が森祇晶に代わると、森には口すらきいてもらえぬ程に評価をされず出場機会すらろくに与えられなくなってしまう。 1992年5月に中尾孝義との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍すると、当時「今年は最下位か」と言われていたほどに低迷していた巨人とその投手陣を強気なリードと勝負強い打撃、そしてその明るい性格で引っ張り、チームを首位争いに絡むまでに上昇させている。1992年は84試合で打率.277、15本塁打43打点の成績を残しているが、上述のようにシーズンにおける成績以上の働きを当時の藤田元司監督に評価され、2000万円のボーナスを貰っている。このため大久保は藤田を「オヤジ」と慕い、藤田が2006年に死去した際には葬儀で号泣している。 1993年以降は故障の他、村田真一との正捕手争いにも負けて1995年で引退。引退後はタレント、野球解説者のほかにも実はプロゴルファーでもあった。
シカトされたみたいでごじゃる・・・
楽天新監督デーブ大久保これを見る限り、怒ったら周りが見えない人ですね・・・。小学校の同級生に…